横浜地方裁判所 昭和57年(ワ)1466号 判決 1989年8月10日
原告
樋口勝治
被告
半谷すみ子
主文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実
第一当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
被告は、原告に対し、一〇四〇万円及びこれに対する昭和五五年一二月二〇日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
訴訟費用は被告の負担とする。
仮執行宣言の申立て
二 請求の趣旨に対する答弁
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
第二当事者の主張
一 請求原因
1 被告は、自動車損害賠償責任保険を含む各種保険及びこれらの再保険事業を目的とする訴外大東京火災海上保険株式会社(以下「訴外会社」という。)横浜西支店の保土ケ谷東代理店として、訴外会社のために損害保険契約締結の代理業務に従事しているものである。
2 訴外樋口勝彦(以下「訴外勝彦」という。)は、昭和五三年一二月二四日午後七時二五分頃、神奈川県昭和五三年一一月三〇日登録、登録番号横浜め七五四号小型自家用オートバイ(排気量四〇〇cc、以下「本件オートバイ」という。)を運転中、横浜市戸塚区柏尾町六六五番地先路上で訴外榎木孝をはね、同月二九日同人を死亡するに至らしめ(以下「本件事故」という。)た。
3 原告は、本件事故に関し自動車損害賠償責任保障法第三条等に基づき、訴外榎木孝の相続人に対し、自動車損害賠償責任保険による保険金二〇三五万二三〇三円を除き損害賠償金として更に七四〇万円の支払義務を負い、昭和五五年一二月一九日にこれを支払つた。
4(一) 原告は、被告との間で、昭和五三年一二月一七日、次の内容の保険契約取得契約(以下「本件保険契約取得契約」という。)を締結した。
(1) 被告は、訴外勝彦の所有する本件オートバイについて、保険金額を対人三〇〇〇万円、対物一〇〇万円、保険期間を翌一二月一八日から開始することを内容とする保険契約を、原告と訴外会社との間で成立させることを約束する。
(2) 被告は、前記保険契約取得に要する費用として、原告から一万〇〇七〇円の支払を受ける。
(3) 被告は、原告に対し、前項記載の金員を前記保険契約の保険料の支払に充てること、保険料が一万円前後であることを原告に対して保証すると共に、万一不足が生じた場合には被告において不足保険料を立替えるか直ちに原告に通知して、原告が不足保険料を支払えるようにする。
(二) 原告は、本件保険契約取得契約により、被告を通じて訴外会社との間で、次の内容の自動車対人損害賠償保険契約(以下「本件保険契約」という。)が締結されたものと信じていた。
保険契約者 原告
保険者 訴外会社
保険種類及び区分 自動車対人損害賠償保険
保険金 三〇〇〇万円
保険料 一万〇〇七〇円
保険の目的 本件オートバイ
所有者 訴外勝彦
保険期間 昭和五三年一二月一八日から一年間
(三) しかるに、訴外会社は本件保険契約の締結を争つているもので、訴外会社の主張が正しいとすれば、被告は、本件保険契約取得契約に違反し、保険契約を取得する義務の履行を怠り、右契約を締結するに至らなかつたことになる。
(四) 従つて、被告には保険契約の締結にまで至らなかつたことにより原告が受けた損害を賠償すべき責任がある。
5(一) 原告と被告は、昭和五三年一二月一七日、保険目的物を本件オートバイと特定して、保険金額を対人と対物に分け、それぞれにつき具体的に保険金額を定め、保険料の金額とその支払方法まで具体的に話しあつた後、被告が原告に対し本件オートバイの車検証の提示を求め、原告宅に存したメモ用紙をもらい、これに車検証を見ながら登録番号、車体番号・車名・所有者・住所等を書き写した。
(二) 原告と被告の右一連のやりとりは、被告が保険会社の代理店としてなしうる保険契約の引受行為そのものというべきであるが、仮にそうでないとしても、保険契約の引合い(申込の誘引)の段階を遥かに超えるもので、両者が契約の締結のための準備段階に入つたことを表している。
このように、本格的な契約交渉が開始され、単なる事実上の打診段階から一歩踏み出し、一般市民間における関係とは異なる緊密な関係が交渉当事者間に形成される契約準備段階に入つた場合には、当事者は、交渉の結果に沿つた契約への期待を侵害しないように誠実に契約の成立に勤めるべき信義則上の義務を負うに至つたものと言うべきであり、これに違反して相手方に損害を及ぼしたときは、契約締結の利益を侵害したものとして損害賠償責任を負うことを免れない。
(三) しかるに被告は、前記のように契約の締結のための準備段階に入つたのであるから、損害保険代理店としての専門的知識に基づいて、遅滞なく保険料を確定し、不足額がある場合には原告に直ちに通知して原告が支払えるように誠実に対処し、保険会社に出向いて所定の手続きを完了させるべきであつたのに、特段の事情もないのに翌一八日だけではなく一九日になつてもこれらの通知や手続を怠り、ようやく二〇日に至つて被告の横浜西支店に出向き、しかも同日同支店の担当者訴外石川から自動二輪車の場合は排気量により取扱に差異あることを知らされ、あわてて原告の妻訴外樋口成子(以下「訴外成子」という。)に電話し、本件オートバイの排気量を問い合わせる等保険契約上基本的知識を欠如していたため同日においてもなお保険契約の締結を完了させることができなかつた。
(四) 従つて、被告には保険契約の締結にまで至らなかつたことにより原告が受けた損害を賠償すべき責任がある。
6(一) 被告は、昭和五三年一二月一七日、次のとおり表明して原告から一万〇〇七〇円の支払を受けた。
(1) 被告の訴外会社の保険代理店としての専門知識によれば、訴外勝彦の所有する本件オートバイについて保険金額を対人三〇〇〇万円、対物一〇〇万円とする保険契約の保険料は被告の息子の自動二輪車の前例から推して一万円前後に過ぎず、右の保険料相当額の支払を代理店である被告にしておけば、訴外会社との間で右内容の保険契約を成立させ、翌一二月一八日から保険責任を開始させることができる。
(2) 万一保険料が受領金額を上回つた場合には、被告において不足分を原告に直ちに通知し、原告が不足分を支払えるようにするので、保険責任が翌日から開始することに変わりはない。
(二) 原告は、被告の右表明を信じて、翌日から訴外勝彦が本件オートバイを運行の用に供することを認めた。
(三) しかし、被告の前記表明は、次のとおり保険代理店として最低限度必要とされる保険に関する知識を欠きあるいは誤解した上でなされたものであつた。
(1) 自動二輪車は、排気量が四〇〇ccであるか否かにより保険契約の取扱が異なる。
(2) 排気量四〇〇cc以上の自動二輪車で保険金額を対人三〇〇〇万円、対物一〇〇万円とする場合の保険料は、保険会社の料率表によると五万四九一〇円である。
(3) 排気量四〇〇cc以上の自動二輪車の保険契約の締結は代理店の独自の判断においてこれをすることができず、保険会社の決済を要することの内規があつて、右内規によると、代理店が保険会社の決済前に保険料を受領することは許されない。
(四) 原告は、被告の代理店としての注意義務に違反した右表明を信頼して、被告に一万〇〇七〇円を支払つて本件オートバイを運行の用に供し、損害を被つたから、被告はこれにより原告が被つた損害を賠償すべきである。
7 原告は、訴外会社から保険金の支払を受けることができず、ためにようやく手にいれたマイホームを処分することにより、訴外榎木孝の相続人に七四〇万円を支払い、右同額の損害を受けた。
のみならず、原告は、本件保険契約の成立を確信していたところ、訴外会社からこれを争われて大きな衝撃を受け、更に本件事故の被害者の遺族から損害賠償金の支払を求められて家族共々眠られぬ夜を過ごすなどし、マイホームを処分せざるを得なくなるなどの希有な苦しみを体験し、筆舌に尽くしがたい精神的苦痛を被つたもので、右精神的苦痛を慰謝するには三〇〇万円の支払をもつてするのが相当である。
8 よつて、原告は、被告に対し、債務不履行ないし不法行為に基づく損害賠償請求権に基づき、一〇四〇万円及びこれに対する債務不履行ないし不法行為後の昭和五五年一二月二〇日から支払済みまで、民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
二 請求原因に対する認否
1 1項の事実は認める。
2 2項の事実は知らない。
3 3項の事実は知らない。
4(一) 4項(一)の事実は否認する。
昭和五三年一二月一七日、原告が被告に対してした申出は、保険金が一万円程度なら加入するというものであつて、申込として受理されるかどうかの引合いの段階であり、原告の主張は失当である。
(二) 同(二)の事実は否認する。
(三) 同(三)の事実のうち、訴外会社が本件保険契約の締結を争つていることは認め、その余は否認する。
(四) 同(四)の主張は争う。
5(一) 5項(一)、(二)の各事実は否認する。
前記のとおり、昭和五三年一二月一七日、原告が被告に対してした申出は、保険金が一万円程度なら加入するというものであつて、申込として受理されるかどうかの引合いの段階であり、原告の主張は失当である。
(二) 同(三)の事実は否認する。
(三) 同(四)の主張は争う。
6(一) 6項(一)、(二)、(三)の各事実は否認する。
(二) 同(四)の主張は争う。
7 7項の事実は知らない。
第三証拠
証拠の関係は、本件記録中の書証目録、証人目録記載のとおりであるから、これを引用する。
理由
一 被告が、自動車損害賠償責任保険を含む各種保険及びこれらの再保険事業を目的とする訴外会社横浜西支店の保土ケ谷東代理店として、訴外会社のために損害保険契約締結の代理業務に従事しているものであることは当事者間に争いがなく、成立に争いのない甲第五、第七号証、乙第八、第九号証、原本の存在、成立に争いのない甲第六号証によると、訴外勝彦は、昭和五三年一二月二四日午後七時二五分頃、本件オートバイを運転中、横浜市戸塚区柏尾町六六五番地先路上で訴外榎木孝をはね、同月二九日同人を死亡するに至らしめ(本件事故)たこと、原告は、本件事故に関し自動車損害賠償責任保障法第三条等に基づき、訴外榎木孝の相続人に対し、自動車損害責任保険による保険金二〇三五万二三〇三円のほか損害賠償金として更に七四〇万円の支払義務を負い、昭和五五年一二月一九日これを支払つたことが認められる。
二 原告は、原告が、被告に対し、本件保険契約締結に関し債務不履行ないし不法行為に基づく損害賠償義務がある旨主張し、被告はこれを争うので以下これについて検討する。
成立に争いのない甲第一号証ないし第四号証、第一〇、第一一号証、第一二号証の一、二、第一三、第一四号証、第一八号証ないし第二三号証(第四号証は原本の存在とも)、乙第一、第二号証、第五号証の一、二、第七、第八号証、前掲甲第一八、第一九号証により真正に成立したものと認める乙第三号証の一ないし一〇、第四号証、鑑定結果、証人樋口成子、同砂賀章一の各証言、被告本人尋問の結果(後記いずれも措信しない部分を除く。)によると次の事実を認めることができる。
1 被告は原告の妻訴外成子の実姉であり、被告が訴外会社及び第一生命の保険代理店をしていたことから、原告は被告に頼まれ、原告名義で生命保険、火災保険、ゴルフ保険、訴外成子名義で生命保険、子供の訴外樋口由美子、同勝彦名義で生命保険に加入していたものであるところ、訴外樋口由美子名義の生命保険の解約に手違いがあつて、一か月分の保険料二万四四七〇円が過納になり、被告が原告に二万四四七〇円を返還することになつて、被告は、右金員の中からゴルフ保険の保険料約三〇〇〇円、火災保険の保険料約一万円を支払い、なお精算すべき金が約一万円残つていた。
2 訴外勝彦は、昭和五三年一〇月三〇日に自動二輪免許を取得し、間もなく訴外城東カワサキで本件オートバイを購入し、右オートバイは同年一一月三〇日納品された。
3 昭和五三年一二月初め頃、被告が訴外成子に会つた際、被告は、訴外成子から訴外勝彦がオートバイを買つたことを話され、訴外成子に、自分の子もバイクを買つて任意保険に入つたこと、保険契約の内容が三〇〇〇万円の対人と一〇〇万円の対物で、保険金が一万円ちよつとであつたことを話して任意保険に入ることを勧め、訴外成子もそのぐらいの金額なら入つてもよい旨のことを言つたため、訴外勝彦に自動車検査証を持参させるように言つて別れたが、そのままになつていた。
4 同月一七日夜、被告は夫と共に夫の快気祝いを持つて原告方を訪問したが、その席上、再度本件オートバイの付保の話が出て、訴外成子から、被告が原告に返還すべき金が一万円余りあり、そのぐらいの金で保険に入れるものなら入りたいので、その金を保険料に充当して欲しいと言われ、被告はこれを了承して、車検証を見ながら本件オートバイの登録番号・車台番号・車名・所有者をメモ用紙に記載し(乙第七号証)、更に訴外成子に自動車保険申込書に押印をしてもらつたが、当日は、申込書を完成することも、契約の成立を証する保険料の領収書を作成することもなく、そのまま帰宅した。
なお、当日まで、被告は、自分の子供の原付自転車以外に、自動二輪車を対象に損害賠償保険契約を締結した経験がなかつた。
5 同月二〇日、被告は訴外会社横浜西支店に赴き、担当の訴外石川に本件オートバイの付保について相談したところ、訴外石川から本件オートバイの排気量を聞かれ、自動二輪車の自動車保険は、排気量が一二五cc以下の車とそれを超える車では違いがあり、排気量が一二五ccを超える車についての保険契約は本社決済になり、保険料も五万四九一〇円になる旨の説明を受け、その場から訴外成子に電話し、訴外石川から聞いた話を伝えるとともに、本件オートバイの排気量を聞いたところ、訴外成子が、排気量は四〇〇ccと聞いていると答えたため、被告は、念のため排気量を確認したいと言つて訴外成子から本件車両の販売店の所在と店名を聞いたが、それ以上に、訴外成子から、五万四九一〇円の保険料を支払つてでも自動車保険に入りたいという積極的な申出はなく、被告にも、原告のため右金員を立替える意思はなかつた。
6 同月二三日、被告は訴外会社横浜西支店に赴き、支店長の訴外月岡忠男に会つたが、本件オートバイを対象とする保険契約は、所有者が高校生であるため、本社決済が下りないことを知らされた。
7 同月二五日夜、被告は、家人から訴外勝彦が交通事故を起こしたことを聞かされ、原告方に電話したところ、訴外成子から、保険の方はやつてくれていたでしようねと言われ、やつていない旨告げた。
8 翌二五日、被告は、訴外成子が勤務する訴外弘華興業の事務所に呼ばれ、社長の訴外砂賀章一に責任を取るように言われ、訴外会社と交渉するのに必要であるとして、単車保険料内入とする金額を一万〇〇七〇円、発行日を昭和五三年一二月一七日とする仮領収書(甲第一〇号証)を書かされ、更に、同日夜、被告方に、原告、訴外成子、訴外勝彦が訪ねてきて懇願し、被告は、訴外会社には昭和五三年一二月二〇日以降の経過が知れている旨断つたが、結局、金額を五万四九一〇円、発行日を昭和五三年一二月二二日とする保険料領収書(乙第四号証)、金額を一万円、発行日を昭和五三年一二月一七日とする保険料領収書(甲第一号証)、契約者を原告、契約車両を本件オートバイとする対人三〇〇〇万円、対物一〇〇万円、保険料領収日を昭和五三年一二月二二日とする自動車保険申込書を作成し、原告は、領収書二通を受け取り、五万四九一〇円を置いて帰つた。
翌二六日、被告は、右自動車保険申込書を訴外会社横浜西支店に持参し、支店長の訴外月岡に対し、脅されて作成した旨述べ提出した。
9 昭和五三年一二月二九日、訴外会社横浜西支店に原告、訴外成子、訴外砂賀章一が訪問し、支店長の訴外月岡に対し保険契約の成立を認めるよう求めて交渉したが、訴外月岡は、契約の締結にいたつていない旨述べてこれを拒否した。
以上のとおり認められる。
前掲甲第二〇号証(証人樋口成子の証言調書)、第二二、第二三号証(原告本人尋問調書)、証人樋口成子の証言中には、単車保険料内入とする金額を一万〇〇七〇円、発行日を昭和五三年一二月一七日とする仮領収書(甲第一〇号証)は、昭和五三年一二月一七日に被告が作成した旨の部分があり、また、右甲第二〇号証、証人樋口成子の証言中には、昭和五三年一二月二〇日、被告が訴外成子に電話し、保険料が上がると言つたので、「いくらでもいいから」と答え、「今日中にきちつとして下さいよ」と念を押したところ、被告は「大丈夫だ」と答えた旨の部分があるのであるが、右は、前掲各証拠に照らしにわかに措信できず、他に前記の認定を左右するに足る証拠はない。
三 以上に認定の事実によると、昭和五三年一二月一七日には、原告と被告との間で、保険料として、被告が個人として原告に返還すべき一万円余りの金員を充てることを前掲とし、本件オートバイを目的物件として保険金額を対人三〇〇〇万円、対物一〇〇万円とする保険契約を訴外会社の意見を聞いた上可能であるなら締結することの合意があつたものと認められ、契約締結についての合意は未確定で、契約としては未だその引合いがあつたにとどまり、締結には至つていなかつたものと判断される。
四 原告は、被告との間で、昭和五三年一二月一七日、被告は、訴外勝彦の所有する本件オートバイについて、保険金額を対人三〇〇〇万円、対物一〇〇万円、保険期間を翌一二月一八日から開始することを内容とする保険契約を原告と訴外会社との間で成立させることを約束する。被告は、前記保険契約取得に要する費用として原告から一万〇〇七〇円の支払を受ける。被告は、原告に対し、前項記載の金員を前記保険契約の保険料の支払に充てること、保険料が一万円前後であることを原告に対して保証すると共に、万一不足が生じた場合には、被告において不足保険料を立替えるか直ちに原告に通知して、原告が不足保険料を支払えるようにするとの保険契約取得契約を締結したところ、被告は、右債務を履行しなかつた旨主張する。
しかし、原告と被告との間で昭和五三年一二月一七日成立した合意の内容は三項に認定したとおりであつて、原告主張の事実を認めるに足る証拠はなく、また、二項に認定の事実によると、原告と訴外会社との間に保険契約が締結されなかつた原因は、最終的には訴外会社の方針が車両の所有者が高校生の場合には保険契約を締結しないことにあつたもので、保険契約が締結されなかつた責任を被告に帰することはできないから、原告のこの点の主張は、その余の点につき判断するまでもなく失当で採用することができない。
五 次に原告は、原告と被告の一連のやりとりは、契約の締結のための準備段階に入つたことを表しているものであるところ、契約準備段階に入つた場合には、当事者は交渉の結果に沿つた契約への期待を侵害しないように誠実に契約の成立に勤めるべき信義則上の義務を負うにいたつたものと言うべきであり、被告は、損害保険代理店としての専門的知識に基づいて、遅滞無く保険料を確定し、不足額がある場合には原告に直ちに通知して原告が支払えるように誠実に対処し、保険会社に出向いて所定の手続きを完了させるべきであつたのにこれを怠り、保険契約の締結を完了させることができなかつたとして、被告には保険契約の締結にまで至らなかつたことにより原告が受けた損害を賠償すべき責任がある旨主張する。
しかし、前記のとおり、原告と訴外会社との間に保険契約が締結されなかつた原因は、最終的には訴外会社の方針が車両の所有者が高校生の場合には保険契約を締結しないことにあつたもので、保険契約が締結されなかつた責任を被告に帰することはできないから、原告のこの点の主張は、その余の点につき判断するまでもなく失当で採用することができない。
六 更に原告は、被告は、昭和五三年一二月一七日、被告の訴外会社の保険代理店としての専門知識によれば、訴外勝彦の所有する本件オートバイについて保険金額を対人三〇〇〇万円、対物一〇〇万円とする保険契約の保険料は被告の息子の自動二輪車の前例から推して一万円前後に過ぎず、右の保険料相当額の支払を代理店である被告にしておけば、訴外会社との間で右内容の保険契約を成立させ、翌一二月一八日から保険責任を開始させることができる。万一保険料が受領金額を上回つた場合には、被告において不足分を原告に直ちに通知し、原告が不足分を支払えるようにするので、保険責任が翌日から開始することに変わりはない旨表明して原告から一万〇〇七〇円の支払を受け、原告は、被告の右表明を信じて、翌日から訴外勝彦が本件オートバイを運行の用に供することを認め、その結果損害を被つたとして、被告は、これにより原告が被つた損害を賠償すべきである旨主張する。
しかし、原告と被告との間で昭和五三年一二月一七日成立した合意の内容は三項に認定したとおりであつて、原告主張の事実を認めるに足る証拠はなく、また二項に認定の事実によると、昭和五三年一二月二〇日、被告は訴外会社横浜西支店に赴き、担当の訴外石川に本件オートバイの付保について相談したところ、訴外石川から本件オートバイの排気量を聞かれ、オートバイの自動車保険は、排気量が一二五cc以下の車とそれを超える車では違いがあり、排気量が一二五ccを超える車についての保険契約は本社決済になり、保険料も五万四九一〇円になる旨の説明を受け、その場から訴外成子に電話し、訴外石川から聞いた話を伝えるとともに、本件オートバイの排気量を聞いたところ、訴外成子が、排気量は四〇〇ccと聞いていると答えたというのであつて、この時点で、原告は保険契約が締結されていないことを知つたものといえるから、その後の本件オートバイの運行により損害が生じたとしても、その責任を被告に帰することはできず、原告のこの点の主張は失当で採用することができない。
七 以上の次第で、原告の本訴請求は、その余の点につき判断するまでもなく失当であるから、これを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 木下重康)